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2012-03-18 読書感想。小説版「のび太と鉄人兵団」 [1次元@読書感想]

職場でジェネレーションギャップを感じてしまうのが、劇場版ドラえもんの話題。
テレビアニメについては同じエピソードが再放送されているので世代間にギャップはありませんが、実際に劇場に足を運び大スクリーンで観賞した劇場版となると、そこに「体験」が加わる分、思い入れに顕著な差が出ます。
自分の場合は「のび太の宇宙小戦」「のび太と鉄人兵団」「のび太と竜の騎士」「のび太のパラレル西遊記」の4作品を劇場で鑑賞しました。当然この4作品が一番思い入れがあります。
しかし、自分よりも5才程度年齢が上下するだけで、思い入れのある劇場版が変わり、同じドラえもんながら共有感が薄れてしまいます。それを悲観するわけではなく、ただ興味深いなと思う次第。

さて、少し思い出話をすると、「のび太の宇宙小戦」が1985の作品ですから現在の年齢から逆算すると、小学1年生~4年生の頃になりますか。当時都会のど真ん中である渋谷に住んでいたこともあり、映画館は近所の公園に行くような感覚でした。そのため、「のび太の宇宙小戦」を除いて一人で観に行ったと記憶しています。同じアニメ映画でも東映まんが祭りは当時入れ替え制ではなく、暇を持て余した子供達の集会場と化しておりギャーギャーと五月蠅いカオスな雰囲気でした。(大声でネタバレするヤツと喧嘩になったり)しかし、ドラえもんの映画は客層も比較的落ち着いており、大きなスクリーンの中で躍動するドラえもんや、のび太達の映像を集中して見る事ができました。おかげでテレビで鑑賞するよりも深く印象に残り、とりわけ「のび太と鉄人兵団」は見終わった際の感傷と共に深く心に刻まれた作品でした。

ドラえもんは子供が抱く「憧れ」を集合させた作品です。「憧れ」であって「願望」ではないのがミソ。大人が思うより子供は現実的です。ドラえもんが四次元ポケットから出すアイテムはどれも便利。しかし本気で手に入れたいと望むわけではありません。便利なモノにはそれなりの対価が必要なのは子供でも実は解っている。まさに主題歌のフレーズとおり、「~たらいいな」程度。そのあたりを誤解するとややこしい事になり、ドラえもんの存在を批判し説教臭い事を言う大人が出てきます。子供がドラえもんに抱く「憧れ」は便利な道具を楽して手に入れたいという享楽的な事ではなく、そんな小うるさい大人達に束縛されたり、干渉されたりせずに自由に遊べたらいいなという「憧れ」です。子供の頃に造った「秘密基地」それを物語化したのがドラえもんなのです。好意的な視点で言えば、それは自立心の芽生えでもあるわけですね。

それをより鮮明にしたのが「のび太と鉄人兵団」でした。それまでの劇場版ドラえもんは冒険譚であり、密林、海底、魔境、宇宙と非現実的な世界を舞台にしていました。ところがこの映画では鏡面世界とはいえ、大人達の造ったリアルな世界がそっくりのび太たちの秘密基地と化しました。普段暮らしている日常の世界を誰に咎められることなく、我が物顔で自由に使える。当時の自分はこの舞台設定に激しく憧れを抱きました。そして物語についても現実的な舞台が功を奏し、人類を奴隷にしようと迫る鉄人兵団の脅威をより身近に感じる事ができました。デフォルメしているが明らかに現実の東京。それが兵団によって崩壊する様は日常の破綻を感じさせ、鳥肌が立ちました。現実と非現実の狭間に立たされ、これまでのドラえもんの映画とは「何かが違う!」と興奮したもののです。

そうそう。興奮したと言えば少女型ロボットのリルル。地球侵略の先兵として地球に送り込まれたスパイロボットで赤い髪、整った顔立ち、色素の薄い肌、緑色の瞳という外見でした。それまでのドラえもんの世界観にはあまり見られないタイプの美少女で、そんな彼女が次元震によって故障し、静香ちゃんに介抱される場面に興奮したのを覚えています。やや大人びた風貌の少女の裸体。それまでテレビで何度も静香の風呂シーンを見ても別になんとも思わなかった自分が、なぜかリルルの裸には興奮しました。その気になれば人を簡単に殺せる実力を持つ彼女が無力な状態で横たわっている姿に感じるものがあったのかもしれません。もしかしたら人生最初に抱いた「劣情」だったのかも。そう考えると、自分にとって、自立心と性への関心が同時に芽生えた記念すべき作品がこの「のび太と鉄人兵団」だったわけです。

さてこのあたりで本題。
今回購入したのが、「のび太と鉄人兵団」の小説版になります。

小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団

小説版ドラえもん のび太と鉄人兵団

  • 作者: 瀬名 秀明
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2011/02/25
  • メディア: 単行本



昨年、リニューアルされた「ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜」と時期を合わせて刊行したようでして、本の帯びには映画の宣伝になっています。しかし内容は旧・のび太と鉄人兵団。つまり自分の愛して止まない作品が元になっています。たまたま本屋で見付けたこの本。お値段は1400円でした。給料日前ということもあり一度は買うのを躊躇いましたが、我慢できず購入してしまいました。
著者は瀬名秀明氏。映画やゲームにもなったパラサイトイブの作者です。ミトコンドリアに不覚にも欲情させられた著者の力量は確かで、「RRAIN VALLEY」で日本SF大賞も受賞している実力派のSF作家です。値段と置き場に困る事もあり、ハードカバーはあまり買わない主義ですが、なぜかこの作者の本はすべてハードカバーで購入しています。

ガチガチのSF作家がどんなドラえもんを書くのか。期待せずにはいられません。ところが読み始めてみると、どうもこの本、往年のドラえもんファンやSFファンを対象にしているのではなく、ごく普通の小学生ぐらいを設定しているのだと分かりました。冗長になりがちな科学的考察は意図的に抑えており、文章表現も平易で読みやすさを重視。ほとんどの漢字にフリガナが付けられている親切仕様でした。一部オリジナル要素はあるものの、コミックス版の大長編ドラえもんをそのまま文章化したような感じ。そういう意味では往年のファンも安心して読めますし小学生のお子さんがいれば一緒に楽しめることができます。一部苦言はありますが。

というわけで苦言。北極で拾った巨大ロボットザンタクロスを鏡面世界で操縦して遊ぶのび太とドラえもんと静香。静香が何気なく触ったボタンによってレーザ光線が発射され新宿の高層ビルが崩壊するシーンがあります。持ち主不在、用途不明と思われた巨大ロボット。無邪気におもちゃの延長線でしかないと思われたロボットがなんらかの「兵器」だと知り戦慄する場面ですが、ここでのび太はテロによりニューヨークが崩壊した事件「911」を想起します・・・・・・って、ええー!そりゃないでしょ。いくらなんでも。

劇場版ドラえもんでは通常世界と鏡面世界という二面性にちなみ、ドラえもんの存在する世界と視聴者の現実世界をリンクさせる試みがありました。世界の危機を訴えるシーンでドラえもんが観客に語りかけるメタフィクション的演出がそれです。小説版でもそれを狙ったのかもしれませんが「911」はあまりにも生々し過ぎます。というかその事件がドラえもんの世界に起きた場合、なんでドラえもんは何もしなかったのだと考えてしまうじゃないですか。
おかげでこれ以降は喉に小骨が刺さったような気分で読み進める羽目に。ぐぬぬぬ。

そしてもう一つ。
我が劣情史の最初の1ページであるリルルの介抱シーン。
これもまた生々しすぎる。静香の視点で描写されるリルルの裸体。ロボットである彼女の傷口から覗くのは紛れもなく機械の部品。しかしそれ以外は人間である静香となんらかわらない。その描写はあくまでさらりと俯瞰するだけでよく、細部をいちいち書く必要はない。「乳首」とか「股間」とかいう単語はいらないと思います。そんなの書かなくたって分かるさ。もはや変態紳士に堕ちた今の自分が読むと妙に居心地が悪い。これはもう劣情ではなく背徳でございます。

さて、苦言だけですと感想を書いた意味がないので最後に良かった点を。
劇場版では乱暴者から一変し、頼もしくなるジャイアンに比べてあまり印象の変化がないスネ夫。結果的に埋没しがちなキャラですが、小説では彼の心理的葛藤を丁寧に描写しているのと、最終局面の鉄人兵団との決戦において彼にふさわしい見せ場が用意されている点に好感が持てます。スネ夫の弱いところ、得意なところが鮮明になり、物語に厚みが増しました。また著者らしい要素として、ザンタクロスの頭脳。ボーリングのような形状で攻撃的な人格を有する「ジュド」についてオリジナルの展開が用意されました。劇場版では鉄人兵団のおそるべき計画をのび太たちに暴露した後にドラえもんの道具によってあっさり人格を変えられてしまいます。以降は従順なロボットの頭脳に成り果てますが、小説版ではあらかじめ用意されていた「自己修復機能」によってドラえもんに改造された後もプログラムが内部であがき続け、元の人格を取り戻そうとします。兵団との隠し球として強力な武器となるザンタクロス。すっかり自分達の仲間になったと安心するのび太たちですが、その頼もしいハズの巨大ロボットはいつ反逆してもおかしくない危うい代物だったという展開は、我々の構成要素であるミトコンドリアが人類を脅かさす共生者だったというパラサイトイブの展開を彷彿とさせニヤリとしました。

ところでドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜では、そのジュドが人格を変えられることなくのび太の仲間になるそうです。どんな話になるか想像もつきませんが、こんどTUTAYAにでも行って借りてこようかと思います。




ここから、おまけ。
ジャイアン暴言トランプです。同じ書店で購入し840円でした。このトランプのレビューを。
最近のジャイアンは昔に比べて大人しくなったと噂されていますが、ジャイアンは理不尽でなければなりません。彼が理不尽であればあるほど、のび太がドラえもんを頼る免罪符になります。そこらへんにいるいじめっ子程度であればなにもドラえもんに頼る必要はありません。子供の力では解決できないのほどの理不尽さがドラえもんを成立させている最大要素とも言えます。



トランプのレビューにもどると、このトランプタイトルどおりジャイアンの暴言集かというと実はそうでもありません。傾向としてスペードとクローバが暴言集。ダイヤはガキ大将らしい頼もしい発言集、そしてハートは友情に厚い「心の友よ」集になっています。JOKERは有名なキレイなジャイアンとジャイアンリサイタル。
そういうわけで暴言集というよりも名言集という感じですね。カードの表はジャイアンのサイン付。

カードの材質は紙と思われます。ザラザラとした手触りの加工を施しており、プラスチック製のトランプに慣れていると違和感があります。普通のトランプに比べて若干薄い気がしますので、耐久性は期待しない方がよいでしょう。

改めて見直すと芸術的とも思える暴言の数々。非道いだけではなく奇知もあります。「とったんじゃない。かりたんだぞ。いつ返すかきめていないだけだ」など、感心します。最後に一番好きなのはこの言葉。

なんという理不尽。そして恐ろしいまでの暴力性。この時のび太の心境は絶望しかありません。大人が聞いても身震いするこの発言こそがジャイアンのジャイアンたる所以だと感じます。


2012-02-16 読書感想 ほうき星 [1次元@読書感想]

約76年周期で地球に接近する彗星。「ハレー彗星」。近年では1986年に地球に回帰しました。
このハレー彗星の回帰と時を同じくしてジャンプに連載が開始されたのがマンガ「聖闘士星矢」でした。長い年月をかけて地球に回帰する彗星の神秘に魅入られ、また星座をモチーフにしたセイント達の戦いに熱狂した当時の子供達はこぞって学研の図鑑を読みあさり星座の名前を暗記したりしました。そんな世代の自分は時を経た今日でも星への憧憬は続いており、星の等級を示すα(アルファ)、γ(ガンマ)という文字や、彗星、流星などの単語には無条件に惹かれてしまう傾向にあります。

というわけで今回手にした本は山本一力作、「ほうき星」です。前置き長くてすみません。

ほうき星 上 (角川文庫)

ほうき星 上 (角川文庫)

  • 作者: 山本 一力
  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
  • 発売日: 2011/12/22
  • メディア: 文庫


ほうき星とはハレー彗星の事です。前々回、ハレー彗星が我が国の夜空に箒のような足跡を残したのは天保年間つまりは江戸時代の頃で、その日に生まれた絵師の娘「さち」が物語りの主人公になります。
上下巻と分量はあるものの読みやすい文体なので三日程度で読了しました。

さて感想ですがはっきり言うと消化不良というか、中途半端な物語りでした。タイトルの「ほうき星」から想像するにこの物語りは主人公「さち」の76年に渡る生涯を描くつりもりだったものと思われます。産まれた年に現れたほうき星。再びそのほうき星が戻ってきた時、主人公「さち」の生涯はどのようなものだったのか。幕末期から明治までの激動の時代に生きた女性の物語り。それが当初の想定だったのではないでしょうか。ところが実際の物語りは半生どころか20代前半で終わってしまいます。父から受け継いだ絵師としての才能で生きていくか、祖母の夢をついで深川で「珊瑚細工の店」を開業するか、はたまた幼なじみの想いを受けて彼の家業である「魚屋」に嫁ぐのか。三つの選択肢の前で揺れ動く主人公の心。彼女下した決断。ところがその決断の末にどのような結末があったのかについては語られることなく物語りは唐突に終焉を迎えます。結局何を軸にした話なのか分からなくなってしまった自分は最終ページで途方に暮れてしまいました。巻末を確認してみるとこの作品、「産経新聞」の連載が元だったようです。もしかしたら打ち切りだったのかとも邪推できます。


とはいえ、江戸の文化風俗を描くことに定評のある作者ですので、江戸時代モノが好きな方ならな手にしてみてもよいのではないかと思います。ただ初めて著者の作品を読むのであれば「だいこん」の方がよいかも。こちらは飯を炊くことにかけて天才的な少女のサクセスストーリーとして軸がぶれておらず、なによりご飯の描写が秀逸で読んでいると白米が食べたくなること請け合いなので。


だいこん (光文社文庫)

だいこん (光文社文庫)

  • 作者: 山本 一力
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2008/01/10
  • メディア: 文庫



2012-01-09 読書感想。琥珀の眼の兎 [1次元@読書感想]

本日は今年最初に読了したエドマンド・ドゥ・ヴァール作『琥珀の眼の兎』の読書感想でもしようかと。

琥珀の眼の兎

琥珀の眼の兎

  • 作者: エドマンド・ドゥ・ヴァール
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2011/11/10
  • メディア: 単行本


この作品、ジャンルとしてはノンフィクションになります。
普段読む本といえばミステリー小説が多い自分にとって、ノンフィクション作品、しかも海外のハードカーバーモノを購入するのは本当に久しぶり。嫁から貰った図書券が1000円分あったとはいえ、年初のお金のない時期に2300円というお値段は質量的にも財布的にもズシリときました。
それでも読みたかった理由は本書のキーワードである『根付』に惹かれたため。
江戸文化好きな自分としては、その言葉が琴線に触れたわけですよ。海外から見た日本文化の立ち位置がどういったものなのか。そんなところが少しでも分かればと手にしたのですが、本の内容は色々な意味で予想を裏切る内容でした。

非常に多面的な要素がある本でしたが、ざっと内容を紹介すると、

ある日、ユダヤ系イギリス人の著者、エドマンドは東京に住む大叔父の死去によって、264点の美術品を相続する。硝子ケースに収まっていたそれは江戸時代末期に海外に渡っていた日本の「根付」だった。
小さくも精緻で、しかも愛らしい「根付」はジャポニズムブームに沸くヨーロッパでは美術品としてコレクションされるようになっていた。
コレクションを相続した著者は根付の遍歴に興味を覚える。海外に旅立った根付がどのような旅をして再び東京に戻ってきたのか。
19世紀末のフランス、20世紀初頭のオーストリア帝国、そして戦後の日本。
その足跡を辿ると、それは所有者である著者の一族『フォテルッシ家』の約100年の家史と重なり、激動にまみれた近代史における一族の興隆と没落の跡を辿る旅でもあった。

・・・こんな感じです。膨大な一族間の書簡、当時の世相、文化を入念に調べ上げ、執念にも似た現地取材を重ねて完成したこの作品。陶芸家でもある著者の語る本当の「日本美術」についての言及や印象派時代の美術に対する見解などを語りつつ、あくまで主題はかつてロスチャイルドに比肩した著者の一族、大富豪『フォテルッシ家』の物語り。そして定住する国を持たなかったユダヤ民族のアイデンティティーを再確認する話。

代々コレクションを引き継いだ著者の先祖はそれぞれの時代、それぞれの国でその土地の土になります。しかし一族としては定住しない。流転、つまりはまた別の土地へと移っていきます。根付のコレクションもまた同じ場所に留まることはありません。一度東京に戻ってきたものの、終盤で著者の住むイギリスへと向かいます。これらの流れにについて著者は言います「そういう物は、昔からずっと、運ばれ、売られ、壊され、盗まれ、取り戻され、失われてきた。~中略~重要なのはそうい物にまつわる物語りをどう語るかなのだ」
移り住む国々で繁栄し、奪われ、貢献し迫害される。そんな一族の末裔である著者のその言葉にただただ圧倒されました。ドキュメンタリーのようでいて、回顧録のようであり、伝記のようでもあるこの作品。多少読みづらいところはありますが、良作であることは間違いないと思いますので、興味のある方は一読されてみてはいかがでしょうか。





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